気仙沼の海を見ました。
素直に「きれい」そう思いました。

そんな美しい海のすぐ後ろには未だ手の付けられていない被害の爪跡を見ることが出来ます。

まるであの日から時が止まってしまっているかのよう。

あの日が来るまでそこには普通の生活がありました。

今回、支援活動をさせて頂いた場所は気仙沼の階上、七半沢地区です。
気仙沼は甚大な津波の被害がありました。

ただ、この地域は唯一津波の被害を免れ、亡くなった方もいらっしゃらなかった。

家があるからと義援金も受けられず、支援も受けられない。

被害の大きかった地域に挟まれているここは、一時期避難所になり、1つの家に15人が暮らしていたこともありました。

家が残っているがため、泥棒に入られることが多く、治安は悪くなりました。

ただ、家があるからといって普通に暮らせている訳ではありません。
仕事が無くなったのも同じ、収入がなくなったのも同じです。

近くで炊き出しがあっても、支援物資の配布があっても、周りの方に遠慮して自分たちは最後だと遠慮していた方々。

家があるからとその場に行けない。
車を洗車すれば白い目で見られる。

全てを失うことだけが被災ではなく、こういう辛い経験をしている方々も今そこにいるのです。

支援活動をする中で、地元で自ら支援活動をするある女性に出会いました。

私がどうしても階上、七半沢で支援活動をしたい理由がそこにありました。
敢えて書きたいと思います。

ある暑い夏の日。

支援物資の配布があると多くの方が炎天下の中半日並んでいました。

支援をする予定でいた団体は、何箇所か回って最後にここに辿り着き、「最後だから余り物しかない」そう言って置いていったもの。

ひじき3袋、お米が少しにポケットティッシュ。

それをどうしろというのでしょうか?

1人3つと決められ、ポケットティッシュを3つ握り締めて肩を落として帰った人がいると聞きました。

その女性は、そのボランティア団体に後日訴えました。

そして返って来た答えは、
「ボランティアに文句言うならお前がやればいい。」

他のボランティア団体の批判をする気はありません。
尻拭いをしようとしている訳でもありません。

ただ、私は彼女に「私たちが行きます」と伝えました。

震災で傷ついた人達がまた傷つけられました。
出来ないならやらなければいい。

だから私は彼女に必ず約束は守りますと伝えました。

もしかしたら地元の方々はまた裏切られたらと思っていたかもしれません。
だからこそ私は、この日を迎えられたことに特別な思いを持っていたのです。

そしてそれが私がここに来たかった理由です。

つづく…

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